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作品情報
あらすじ
妻と離婚し、会社もやめて地元函館に戻り、職業訓練校と自宅の往復の日々をダラダラと送る白岩(オダギリジョー)。
ある日、昼は遊園地でバイト、夜はキャバ嬢をしている、ちょっと変わった女性の聡(さとし)と出会う。
田舎に戻って以降、何事にも関心を持てないような無気力な生活を送っていた白岩だったが、とにかく風変わりな聡に徐々に惹かれていく。
ところが聡は、仲良く買い物に行ったかと思えば途中で急に帰ってしまったり、肉体関係を持ったかと思えば元妻のことを聞き出そうとムキになって暴れ狂ってしまったり、その「壊れっぷり」を、惜しみなく出してしまう。
二人の関係は、上手くいきそうになっては壊れることを繰り返していた。
白岩に聡を紹介し、間を取り持ったりしていた訓練校の同期の代島(松田翔太)は、聡は真面目に付き合うような女じゃないから、本気にならないほうがいいと諭すが、白岩の中では逆に一種の決意が生まれ、聡を訓練校のソフトボール大会に観戦に来るように誘う。
その後も壊れて直っての関係を繰り返している中、ついにソフトボール大会当日を迎える。
一時は観戦に現れないかと思われた聡だったが、白岩の打席が回ってきたときに、ギリギリセーフでグラウンドに到着。
グラウンドの端に聡の姿を見つけた白岩は、嬉しさに顔を緩ませるが、再び真剣な顔で打席に立つ。
最後にはフルスイングからのホームランを放ち、タイトル通りの「オーバーフェンス」を果たしたところでエンディングを迎える。
感想
壊れる人間と、壊す人間
地味な作風とのコントラストも相まって、一見すると、壊れている人間がかなりエキセントリックに描かれていて「狂っている」人たちの印象が強く残ります。
しかし、時間が進むにつれて、真人間で「普通のイイ人」な感じだったオダギリジョー演じる白岩も、壊す側の人間としての「狂っている」部分がじわりじわりとあらわれてきたところが興味深かったですね。
壊れるサイドの人間は、蒼井優演じる聡、満島真之介演じる森、優香演じる白岩の元妻が該当するのかなと思います。
その中でも、聡はコントラストがはっきりした二面性を持っていて、スイッチが入るとエンジン全開で狂うタイプ。
白岩の元妻も、直接的な描写はなかったけど、「子供の顔に枕を押し当てる」という行為は、発作的にしてしまったのであって、日常とはコントラストがくっきり違う二面性だったのだろうと思います。
この中でタイプが違うと感じたのが、森です。
職業訓練校でのイジメを受け続けることで、着実に崩壊へのステップを踏む様が描かれており、最後には大爆発。
タイプの違う「壊れる人」を並べることで、壊れる側にとても目が引きつけられました。
一方で、壊す側としてはオダギリジョー演じる白岩、職業訓練校の島田、訓練校の先生などが該当します。
彼らは一見「普通」の常識人に見えるが、作中では壊す側として作用しているのです。
この見せ方に、巧妙なトリックがあったんだなと感じました。
日常生活でも同じように、「壊れている人」が目を引き、注目されて、非難を浴びるのが常ですが、実はその裏には「壊す人」が存在していて、罪があるとすれば彼らにも同じくらいの罪があるのです。
そのことを白岩が最後に告白・懺悔することで、視聴者は「壊す人っていうの盲点だった、こいつらにも罪はあるのではないか?自分はどっちだ?」と新たな視点を与えられるのだと思います。
「普通」ってどこにでもあるようで、どこにもないんじゃないかと考えさせられますね。
蒼井優演じる聡は病気?
聡は、急に発作的に怒鳴りだしたり、デート中に冷めて帰ったりと、なんかの病気なのかと思うくらいピーキーなのですが、あえてなのか、病気なのかどうかということには言及されていません。
見ている側としては完全に「病んでいる」という印象を持つのですが…。
例えば、白岩が聡の勤めるキャバクラに始めて行った帰り、聡は白岩を送ろうとして車へ誘うのですが、この辺りは可愛らしい女性そのもの。
しかし、体の関係を持った後に元妻について問いただす場面では、叫び暴れる狂ったヤツへと変貌をとげます。
これは何かしらの精神的な病気なのか?と誰しもが感じると思うのですが、おそらくこの作中では、「その病名が何か」ということは全く重要ではないのだと思います。だから言及しないんでしょうきっと。
むしろ特定の病名や症状に言及してイメージを縛らないことで、この二面性の「得体の知れなさ」、壊れた人間の「怖さ」がダイレクトに伝わっているように感じます。
というのも、何か物体や事象に名前を付けるという行為は、安心感が生まれるもので、逆に名前を知らない物体や事象は恐怖の対象となるからです。
そういった意味では、聡という名前は、女性なのに男性的な名前という、「二面性の象徴」的な役割も持っているのではないでしょうか。
病名を出さないでイメージを縛らない代わりに、間接的に二面性の印象づけを聡にしてくれる役割だったのでしょうね。
「オーバーフェンス」とは?
作中登場するソフトボールや、野球では、オーバーフェンスとは「ホームラン」のことを指します。
確かにラストシーンは、白岩がホームランを打ったところで終了しますね。
このホームランが表現しているのって、鬱屈した日常から何か抜け出したような感覚を表していると思うのです。
周りにあった、目には見えないフェンスを越えた瞬間の象徴としてのホームラン。
今作では、「壊れる聡」と「壊す白岩」という関係性がずっと描かれており、聡は「なんで壊すの?」と、白岩は「なんで壊れるんだよ」と、お互いに感じ続けていました。
そんな進展しない二人の関係が続く中で、ソフトボール大会で白岩の打席に間に合って聡が登場したことは、二人にとって大きな前進を感じる決定的なでき事となったのだと思います。
それが、関係性の進展であり、白岩の無気力な日常からの脱出であり、ホームランという形で表現されたのです。
個人的には、森くんが訓練校で暴れだした瞬間が、「何かの柵を超えたな」というのを一番強く感じましたが(笑)
まとめ
今作で特に印象的だった、人間の二面性だったり、その別の顔を引き出すような「相手を壊す側」がいるという視点だったり、なにか突き抜けた印象を与えるホームランだったり。
日常に置かれたカメラで切り取りとったような見せ方だったからこそ、こういった細やかな描写が際立つ作品だったと思います。
観ていて疲れないし後味の良い作品だからか、実は私は4周しています(笑)
三部作の最終章から観てしまったことになるけど、1作目、2作目にあたる「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」も観てみようかな、と思いました。
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